年商70億円の道のり:荒木淳平が語る起業初期の苦悩と事業拡大の秘訣
JP.Company代表の荒木淳平が、起業初期の資本金調達から年商70億円達成までの道のりを語ります。孤独なスタートアップ期の苦悩、事業転換、粗利とコストへの徹底的なこだわりが、いかに事業拡大の原動力となったのか。起業家精神と成長のヒントをお届けします。
CHAPTERS
- 00:00起業前夜の資本金調達とデッドライン
- 00:00事業内容未定のまま会社設立
- 00:00モノシェア構想と挫折、そして転換点
- 00:00ヤフオク転売での成功体験
- 00:00事業拡大の鍵「粗利」と「コスト」
- 00:00効率化と独自性を生むシステム開発
- 00:00起業家へ向けたメッセージ
僕が起業して年商70億円規模の会社を築き上げるまでには、決して平坦ではない道のりがありました。特に起業初期は、資本金調達から事業内容の模索、そして大きな方向転換を経験しています。今回は、僕自身の体験談を交えながら、どのようにして事業を拡大していったのか、その秘話をお話しできればと思います。
起業前夜の資本金調達、300万円への執念
僕が起業を決意したのは、実は小学生の頃なんです。父親が経営者で大失敗した経験があったので、「俺がリベンジしてやろう」という思いがずっと心の中にありました。サラリーマンをしながら、30歳までに自分の会社を興そうと決めていたんですよ。つまり、29歳がデッドラインだったわけですね。
漠然とですが、資本金は300万円でスタートしたいと考えていました。何の商売を始めるかは決めていなかったんですけど、とにかく借金なしで300万円貯めるぞと。当時の給料は決して多くなかったですし、遊びたい盛りの20代で、私生活を送りながら300万円貯めるのは、正直かなりキツかったですね。だいたい2年間くらいで貯めた記憶があります。毎月15万円から20万円くらいを目標に貯蓄を続けていました。
貯めた資金はありましたが、当時の会社を辞めさせてもらえず、結局起業は1年先延ばしになり、30歳でのスタートになりました。それでも、最初の起業資金は日本政策金融公庫で借りた分を除けば、自己資金でやりくりしようと考えていたので、300万円という目標は変えませんでした。100万円で起業する人も多いと思いますが、それだと心もとない気がして、300万円は必要だと判断したんですよね。
経営・チーム
事業内容未定で会社設立。不安だらけのスタートアップ期
会社ってどうやって作るんだろう、というところから始まったんです。調べてお願いして、2009年1月7日に会社を設立しました。もちろん最初は僕一人で、この「一人でやる感」がめちゃくちゃ強かったですね。親にもちゃんと言っていなかったんじゃないかな。なぜなら、その時まだ事業内容が決まっていなかったからなんです。
ビジネスプランはたくさん考えて、定款には色々な事業内容を書きました。だけど、「これだ!」という一つに絞れていなかったんです。社会保険労務士の方に「どういう会社を作られるんですか?」と聞かれるたびに、決まっていないとは言えず、誤魔化しながら説明していました。相手の顔を見ると、「またこういう奴が失敗していくんだろうな」と思われているのが分かって、それがすごく伝わってきたのを覚えています。
会社設立後、まずは事務所を借りました。事業内容は決まっていないんですけどね。事務所の大家さんにも「どういう事業をされるんですか?」と聞かれるので、いくつか考えていたプランの中から、一番大きく聞こえるものを話して借りました。安いところでしたが、実家から自転車で通える距離です。
朝9時に事務所に出社するんですけど、事業が決まっていないから、やることがないんですよ。最初の数日間は、机も何もない地べたで、持っていたパソコンでひたすら調べ物をしたりしていました。不安じゃないと言ったら嘘になりますよね。自分の役員報酬は、社会保険料を安く抑えるために月7万円くらいに設定していました。貯金はまだあったとはいえ、経済活動が何もできていない状態に、このままじゃヤバいという焦りが募っていきました。
EC・オンライン物販
モノシェア構想からヤフオク転売への大転換
そんな中で、最初にやろうと思ったのが、今も屋号に残っている「モノシェア」というシェアリングサービスでした。今でこそカーシェアやシェアリングエコノミーは普及していますが、当時はまだ珍しい時代です。人から借りた物を人に貸す、いわゆる「物版カーシェア」のようなサービスを構想していました。そのためのホームページを外注したんですが、これが150万円ほどかかりましたね。同時に日本政策金融公庫から500万円を借り入れ、合計800万円の資金を確保しました。
ホームページ制作と並行して、シェアリングサービスで貸し出す商品を集める必要がありました。最初は自分で商品を集めて貸す、レンタルサービスのような形から始めようと。何が一番借りられるだろうと考えた時、ブランド品が良いんじゃないかと思ったんです。新品は高価だけど、中古なら需要があるだろうと。そこで古物市場という存在を知り、人生で初めて一人で市場に行きました。2009年4月のことです。
ブランド品の知識は全くなかったので、「ブランド〇〇」という雑誌だけを頼りに、なけなしの100万円を持って市場に乗り込みました。ルイ・ヴィトンやエルメス、シャネルなど、色々なブランド品をまんべんなく買ってみようと。初日は緊張しながらも、55万円分の商品を仕入れることができました。ただ、市場では最初いじめられたり、買わせてもらえなかったりすることもあって、洗礼を受けましたね。
商品が揃い、ホームページもほぼ完成間近というところで、不安が募ってきました。2009年当時、シェアリングサービスが世間に受け入れられるのか。そんな矢先、同じようなサービスを別の会社がリリースしたんです。「えっ!」と思いましたね。僕が始めたかったのに、先にやられてしまった。しかも相手はきっと資金力があるだろうから、広告費で競ったら負けるに決まっている。そう思ったら、「これ、俺がやる意味あるのかな」と。資金も残り数十万円しかなく、150万円かけたホームページも、仕入れたブランド品もどうしようという状況で、結局、モノシェアの事業は断念するという決断を下しました。
じゃあ、仕入れたブランド品はどうしようか。レンタルするために買ったものなので、とりあえず売ってみようとヤフオクに出品しました。そしたら、これが「めっちゃ速攻で売れた」んですよ。正直、「超簡単じゃん!」と思いましたね。今までシェアリングサービスで散々悩んでいたのが嘘みたいに。最初のシャネルの香水を皮切りに、出品すればするほど商品が売れていきました。市場での仕入れ値も相場より安く買えていたので、利益もしっかり出ます。これでいける、と確信したのが2009年8月でした。
事業拡大の鍵は「粗利」と「コスト」の徹底管理
ヤフオクでの手応えを感じてからは早かったですね。翌週にはもう一度市場に行って仕入れ、出品する。売れる。この繰り返しで、数を増やせば間違いなく儲かると確信しました。2009年9月には、フラフラしていた母親に「うちでバイトして」と声をかけ、最初の従業員になってもらいました。そこから1ヶ月後にはハローワークを通じてパートさんを3人ほど雇用し、就業規則なども整えました。
僕自身は仕入れに集中できるように、出品などの作業は従業員に任せる体制を構築しました。そして、10月にはどんどん商品が売れていき、そこからは毎年売上が倍になっていきました。リーマンショック後の2009年という、景気としては最低のタイミングで起業しましたが、徐々に景気が上向いてきた時期と重なったのも幸運だったと思います。事務所も手狭になり、どんどん新しい場所へ引っ越していきましたね。
事業を大きくしていく上で、僕が一番意識していたのは、「粗利」と「コスト」の徹底的な管理です。一人で出品作業をして売ることもできますが、それだけでは拡大はできません。だから、人や外注の力を借りて、自分の時間は仕入れに費やす。そして、いかに少ないコストで粗利を生み出し、それを効率的に回すか。ここを徹底的に計算しました。
例えば、商品1つあたりの出品コストを細かく計算し、それが粗利の中で賄えるかを常に意識していました。それができれば、商品数が増えれば増えるほど利益が残る。この仕組み化をひたすら追求したんです。だから、コストを下げることと、効率化させることをめちゃくちゃ意識しましたね。
効率化と独自性。年賀状デザインから生まれた「手作り×システム」の強み
効率化を追求する中で、システムは自分で作れるだろうと考え、外注せずに内製しました。当時からうちのシステムはかなり個性的で、独自性があったと思います。在宅のスタッフさんなども活用しながら、僕自身の力を仕入れに集中させ、かつコストを下げる方法を追求していました。
ただ、効率性だけでは販売額は伸びません。いかに楽をしながら販売額を伸ばすか、ということも考えていました。当時、ブランド品をECで販売しているサイトは、ギラギラした「ブランド感」を前面に出したものが多かったんです。個人的にそれが大嫌いだったんですよ。気持ち悪いというか。
だから、うちはあえてコミカルで可愛い感じのデザインにしようと思いました。実は、あのデザインはフリー素材なんです。今だから言えるんですけど、年賀状のデザイン集から気に入ったものをダウンロードして、自分でPhotoShopで切り抜いて切り貼りして絵にしていました。毎年新しい年賀状が出たら、デザインを変えていましたね。そうすればオリジナリティも出るし、何より0円でできる。当時はクラウドワークスのようなサービスもなかったので、絵心のない僕がデザイナーに頼めば何十万円もかかってしまう。だから、自分でできる範囲で工夫したんです。
そのデザインをシステムに組み込み、例えばコーチ(COACH)ならコーチ専門の、プラダ(PRADA)ならプラダ専門のページがヤフオク内で表示されるような仕組みにしました。そうすることで、一見すると手作り感のある可愛いホームページなんだけど、中身はめちゃくちゃシステマティックという、独自の強みを作れたんです。コストを下げつつ、商品1つあたりの販売額を大きくする工夫を凝らしました。やはり、粗利とコスト、経費の感覚は経営において非常に重要だと感じています。経費ばかり上がってしまえば、いくら売上があっても利益は残りませんからね。
起業は「一歩踏み出す勇気」から。スモールスタートの重要性
僕の会社が成長するまでの道のりについてお話ししてきましたが、結局、何が大事だったかというと、「一歩踏み出す勇気」だと思います。僕のように事業内容を決めずに会社を立ち上げる人は普通いないでしょうけど(笑)。でも、どこかで「俺ならやれるだろう」という根拠のない自信があったから、思い切って踏み出せたんだと思います。
世の中にはたくさんの人がいて、起業する人はそこまで多くありません。サラリーマンでトップを目指すよりも、経営者として特定のジャンルでトップを目指す方が、確率論的に言えば高いんじゃないかと思うんですよ。サラリーマンのトップは本当に大変ですが、経営者ならワンチャン狙えるかもしれない。優秀な人は安定を求めてサラリーマンを選ぶ傾向にあるので、逆説的に言えば、経営者には行動力やマインドセットがより重要になってくる気がします。
もし起業を考えている人がいれば、まずはスモールスタートから始めるのが良いと思います。副業でもいいし、せどりでもいい。いわば「練習試合」のような感覚で、仮入部的に始めてみるのがおすすめです。そこで「あれ?俺、サラリーマンよりも自分で事業をやる方が向いてるんじゃないか?」と気づくかもしれません。
「他人にできないアイデアが持てる」「他人にできないようなことを思いつく」といった感覚があれば、それは自分にできると判断して良いと思います。もし誰かがやっていることと同じことしかできないのなら、サラリーマンを続けた方が良いという見方もあります。ただ、それも実際に副業をやってみないと分からないことですよね。サラリーマンに向いていないと感じる人は、一度チャレンジしてみるのが良いのではないでしょうか。
僕もそうでしたが、始める前が一番キツくて、お金を貯めるのが大変でした。そして、始めた後の半年間はキツいというよりも、寂しかったですね。事務所に机が一つだけポツンとある中で、不安と戦いながら日々を過ごしていました。それでも、一歩踏み出し、試行錯誤を続けた結果、今のJP.Companyがあるんだと振り返っています。
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FAQ
Q.荒木社長が起業を決意したきっかけは何ですか?
Q.起業時の資本金はいくらでしたか?
Q.最初の事業は何でしたか?
Q.事業の方向転換のきっかけは何ですか?
Q.事業拡大のために最も意識したことは何ですか?
Q.初期のホームページデザインはどのように作成されましたか?
Q.起業を考えている人へのアドバイスはありますか?
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